首洗池(加賀市手塚町)

 寿永2年(1183)倶利伽羅の戦いで木曾義仲に大敗した平家の軍勢は、加賀平野を南下し、篠原の地(現在の加賀市篠原町付近)で陣を立て直し、義仲との決戦を図った。しかし勢いづいた義仲軍を阻止することはできず、平家軍はふたたび敗れ去った。
 このとき、敗走する平家軍で、ただ一騎踏みとどまって戦ったのが斎藤別当実盛であった。実盛は老武者とあなどられることを恥とし、白髪を黒く染めて参戦したが、手塚太郎光盛に討ち取られ、劇的な最期を遂げた。
 樋口次郎兼光が、討ち取った首をこの池で洗ってみると、黒髪はたちまち白髪に変った。それはまがいもなく、その昔、義仲の命を助けた実盛の首であった。
 実盛着用の甲冑を、木曾義仲が多太神社に奉納したと伝えられており、元禄2年(1689)芭蕉が「奥の細道」の行脚の途中に立ち寄り、この兜によせて、

む ざ ん や な 兜 の 下 の き り ぎ り す

と詠んでいる。

首洗池 実盛の兜と義仲 芭蕉句碑

戻る