多太神社(ただじんじゃ:小松市上本折町72)

 寿永2年(1183)5月、倶利伽羅峠の一戦で大敗を喫した平維盛を総帥とする平家の大軍は、加賀の篠原に再陣して抵抗を試みたが、木曾義仲軍の前に総崩れとなり都に逃走した。
 この時、踏みとどまって白髪を黒く染め、若者に伍して奮戦し、手塚光盛に討たれた、斎藤別当実盛は73歳であったと伝えられる。討ち取った首を池(現在の首洗池)で洗ってみると、黒髪はたちまち白髪に変った。実盛はかつて幼少の義仲を救った命の恩人で、義仲は実盛の首級と涙の対面をし、懇ろに弔い、その着具であった甲冑を多太神社に納めた。この甲、大袖、臑当は重要文化財に指定されている。

 芭蕉翁一行が多太神社に詣でたのが元禄2年(1698)7月25日(陽暦9月8日)であった。7月27日小松を出発して山中温泉に向かう時に再び多太神社に詣で、それぞれ次ぎの句を奉納した。

あ な む ざ ん 甲 の 下 の き り ぎ り す 芭蕉
幾 秋 か 甲 に き へ ぬ 鬢(びん)の 霜 曾良
く さ ず り の う ら 珍 し や 秋 の 風 北枝
多太神社 芭蕉句碑 実盛の甲

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