「奥の細道」北陸路の旅程(曾良の随行日記による)  Topへ

芭蕉は元禄2年(1689)3月27日(陽暦5月16日)深川芭蕉庵を愛弟子の河合曾良一人を連れて出立し、東北地方を回り、7月15日(陽暦8月29日)金沢に入った。

7月15日〜7月24日 金沢
7月24日〜7月27日 小松
7月27日〜8月5日 山中
8月5日〜8月7日 小松
8月7日〜8月8日 加賀

金沢 9泊 

7月15日 快晴

高岡を出発し、石動で埴生(はにゆう)八幡宮(木曽義仲が平家追悼の願書を奉納した)を参拝し、くりから峠を越え、午後3時金沢に入る。
京屋吉兵衛方(森下町の酒屋)に宿をかり、竹雀(ちくじゃく:宮竹屋喜左衛門)と一笑(いっしょう:小杉一笑)に連絡をとった。竹雀が一笑の死(前年12月6日)を知らせる。

7月16日 快晴

10時ころ、宮竹屋喜左衛門(竹雀)方へ移る。

7月17日 快晴

芭蕉は源意庵(浅野川の付近にあった立花北枝(ほくし)の立意庵だろうといわれ、元禄3年3月の大火で全焼)に招かれ、次の句を集まった人々に示す。
○ あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風

7月18日 快晴

7月19日 快晴

宮竹屋に俳人たちが集まる。吟席が設けられたのであろう。

7月20日 快晴

斉藤一泉の松玄庵(犀川の岸辺、清川町の地獄尊寄付近)に招かれ饗応をうける。
俳諧一折(6句)、「残暑暫(しばし)手毎にれうれ瓜茄子」を発句として半歌仙(俳諧の一体。三六句を一巻とする歌仙の上半、一八句を一巻として完結するもの。)を行う。
夕方、野田山に遊ぶ(北枝が芭蕉から「蚊帳つり草」を教わる)。
○ 翁にぞ蚊帳つり草を習いけり 北枝(卯辰集)
松玄庵で句会(真夜中)。
○ 秋涼し手ごとにむけや瓜茄子

7月21日 快晴

北枝、一水(金沢の俳人)とともに、鶴屋句空(くくう)のいた法住坊金剛寺(卯辰山子来町宝泉寺内)または、生駒万子(ばんし)の菩提寺高巌寺の塔頭「一草庵」をたずねる。

7月22日 快晴

願念寺にて一笑の追善会が催された。
芭蕉は「塚も動け・・・」の句を手向けた。
○ 塚も動け我が泣く声は秋の風

7月23日 快晴

雲口(小野氏)を主として人々に誘われ、宮の越(金石)に遊ぶ。
○ 小鯛さす柳涼しや海士がつま

7月24日 快晴

金沢を出発する。小春(しょうしゅん)、牧童(ぼくどう)、乙州(おとくに)は町はずれ(有松あたり)まで見送り、雲口、一泉、徳子は野々市まで見送る。
4時ころ小松に到着し、近江屋に宿をかりた。もどる

小松 3泊 

7月25日 快晴

小松を立とうとしたが、土地の人々が引き止めるので、滞在することにする。
居所を近江屋から立松寺(建聖寺だといわれる)に移る。
建聖寺には芭蕉塚と北枝が彫った芭蕉像がある。
多太八幡へ参拝して,実盛の甲冑や木曾義仲の願状をみる。
山王神社の神主藤井(藤村)伊豆方に招かれ、四十四(よよし)の俳諧興行に加わった。連衆は、芭蕉、鼓蟾(こせん)、北枝、斧卜(ふぼく)、塵生(じんせい)、志格(しかく)、夕市(せきし)、致益(ちえき)、歓生(かんせい)、曾良であった。
○ しほらしき名や小松吹く萩薄(はぎすすき)

7月26日 10時頃から風雨

観生の亭に招かれて句会に出席。連衆は、芭蕉、亨子(きょうし:歓生)、曾良、北枝、鼓蟾、志格、斧卜、塵生、季邑(きゆう)、視三(しさん)、夕市であった。
○ ぬれて行や人もをかしき雨の萩

7月27日 快晴

諏訪神社(菟橋神社)の祭礼だったので参詣し、その後多太八幡へ立ち寄って「むざんやな・・・」の句を奉納した。
○ むざんやな甲の下のきりぎりす
小松を立って、山中温泉に到着。泉屋(和泉屋)久米之助方に泊まる。
「奥の細道」本文では、地理的な道順通りに小松→那谷→山中となっているが、曾良の随行日記によると、小松→山中→那谷→小松となる。 もどる

山中温泉 8泊

7月28日 快晴

夕方、薬師堂(医王寺。本尊は薬師如来で、山中温泉を開湯した行基の創建と伝えられる真言宗の古寺。)などを見て回る。
泉屋の若主人久米之助(当時14歳)は、このとき翁の門に入り、桃妖(とうよう)の号をもらった。「泊船集」(伊藤風国編)に、
加賀山中桃妖に名をつけ給ひて
○ 桃の木の其の葉散らすな秋の風
とある。

7月29日 快晴

道明が淵(鶴仙渓)に遊ぶ。道明が淵の子安観音側に句碑がある。
○ やまなかやきくはたおらじゆのにほひ

7月30日 快晴

道明が淵に遊ぶ。

8月1日 快晴

黒谷橋(山中東町1丁目の橋で、橋を渡った右下に芭蕉堂がある)へ行く。

8月2日 快晴

小松の塵生から乾うどんが見舞いに届き、芭蕉は礼状を出している。

8月3日・4日

雨がちの天気であった。芭蕉の動向は記されていない。

8月5日

明日6日に小松で生駒万子と会うため、芭蕉と北枝は再び小松へ向い、曾良は腹の病気が良くならず、伊勢の国長島にある親戚へ行くため大聖寺へ向かった。
別れに際し、次の句を詠み交わしている。
○ 行き行きて倒れ伏すとも萩の原 曾良
○ けふよりや書付消さん笠の露 芭蕉
小松へ行く途中那谷寺に参詣している。
○ 石山の石より白し秋の風
芭蕉は小松に泊まり、曾良は大聖寺の全昌寺に泊まった。 もどる

小松 2泊

8月6日

芭蕉は小松で万子に逢い、小松天満宮の宮司能順(当時の連歌の第一人者)を訪ねた。万子は能順と芭蕉を合わせ、連歌を作らせようとしたが実現しなかった。

8月7日

小松を立って、大聖寺の城外、全昌寺に泊まる。 もどる

加賀市 1泊

8月8日

曾良も前夜全昌寺に泊り、次の句を残して出発した。
○ 夜もすがら秋風きくや裏の山 曾良
芭蕉も次の句を詠んでいる。
○ 庭掃いて出でばや寺に散る柳
全昌寺の門を入った左側に「はせを塚」があり,その右側に句碑がある。 もどる