金沢城
   かなざわじょう    


     

石川門正面


 城下町金沢を代表する石川門を兼六園の方向から見たところです。
 金沢城は16世紀、一向宗(いっこうしゅう)の尾山御坊(おやまごぼう)からはじまりました。
 





前田利家像(まえだとしいえぞう)


 金沢城は、前田利家が入城してから、本格的な城として成立しました。







石垣の刻印(いしがきのこくいん) 1〜

 この印(しるし)は何でしょう?
 石垣の中にどうしてこのような印が残されているのでしょう。







石垣の刻印(いしがきのこくいん) 2〜

 これらの印は、石垣をつくった人たちが、自分の仕事の証(あかし)を残すために刻(きざ)んだといわれています。







なまこ塀(なまこべい)

 金沢城の壁(かべ)は、なまこ塀とよばれる形をしています。








瓦(かわら)

 瓦は、鉛瓦(なまりがわら)といわれるもので、ふつうの瓦の上から鉛の板をかぶせてあります。
 戦争のときには、その鉛をとかして、鉄砲の弾(たま)に作りかえたといわれています。






鉄砲穴(てっぽうあな)とその表

 この穴は、城の中から鉄砲を外に向けてうつ穴です。
 外から見ると、どこに穴があるか分からないようにしてあります。






門から中へ


 門をくぐると正面に石垣があり、そこを曲がって城内へ入ります。
 敵が一度にたくさんせめてこれないように、このような仕組みになっています。





五十間長屋(ごじゅっけんながや)遠景(えんけい)

 中に入ったところから遠くに見えるのは五十間長屋です。
 これは、城内にあった金沢大学が角間町に移転したあとに復元工事がはじまり、平成13年に完成しました。







五十間長屋(ごじゅっけんながや)


 このような大きな建物が復元されましたが、金沢城には他の城に見られるような天守閣(てんしゅかく)はありません。







やぐらの内部(ないぶ)


 石川門の櫓(やぐら)の内部です。
 櫓の中から下をのぞくことができるようになっています。
 敵(てき)が攻(せ)めてきたとき、上から大きな石を落とすために開けられるようになっています。






模型(もけい)

 金沢城の姿(すがた)は、ほとんど残っておらず、このような模型で当時の姿を見ることができます。
 これを見ても、天守閣がなかったことが分かります。
 金沢城にあった天守閣は、その昔、2度の火事にあい、その後はつくることはなかったのです。





大手堀(おおてぼり)


 これは、ただ一つ残る堀、大手堀です。
 他の堀は、この白鳥路(はくちょうろ)のように、埋(う)め立てられています。






石川門から兼六園をのぞむ

 金沢城の向かいには、観光地として有名な兼六園があります。








琴柱灯篭(ことじとうろう)

 中には兼六園を代表する琴柱灯篭があります。








噴水(ふんすい)


 兼六園の中には、江戸時代に作られた噴水があります。
 これは機械を使って水をふき上げるのではなく、池からの落差(らくさ)を利用したものです。





町名碑(ちょうめいひ)

 金沢城のまわりには、古い町名を表すこのような石柱(せきちゅう)がよく見られます。
 中には、古い町名が復活し、石柱から「旧」(きゅう)の文字がけずられたものもあります。





 もどる