石動山
  せきどうざん





石動山

 石動山一帯に、石動山本社を中心とする五社権現跡(ごしゃごんげんあと)などが点在し、さらに、その南側全面に広がる平坦(へいたん)な場所には、天平寺院坊跡(てんぴょうじいんぼうあと)があります。









伊須流岐比古(いするぎひこ)拝殿(はいでん)・本殿

 本殿は、1653年に前田利常(まえだとしつね)の寄進(きしん)によって建てられたもので、大宮、白山宮、梅宮、火宮、剣宮の各社殿(しゃでん)にまつられた五社権現(ごしゃごんげん)を合わせて、まつってあります。
※寄進(きしん):今の寄付(きふ)にあたる








イワシガ池


 かつて、石動山の神仏(しんぶつ)にそなえる聖(せい)なる水をくみとる閼伽池(あかいけ)とよばれていました。
 毎年、7月7日の開山祭(かいざんさい)には、参詣者(さんけいしゃ)が万病にきくと水として持ち帰る風習が残っています。

※開山祭(かいざんさい):山開きを祝うまつり
※参詣者(さんけいしゃ):おまいりする人たち








五重塔跡(ごじゅうのとうあと)


 火事で焼けたあと、再建(さいけん)されずに地中に埋(う)もれたままです。
 周辺から焼けただれた木材や灰などが出土(しゅつど)し、当時の火事のすさまじさを物語っています。










籠堂跡(こもりどうあと)


 籠堂(こもりどう)は、お坊さんが3月から5月まで修行(しゅぎょう)のためにこもった堂です。
 籠堂の中でお坊さんたちは、眠らず、動かずのきびしい修行にたえました。










大御前(おおごぜん)


 石動山の山頂(さんちょう)を大御前といいます。











旧観坊(きゅうかんぼう)


 江戸時代にあった58の院坊のうち、ただ一つ今に残る建物です。
 ふつうの家のような構(かま)えですが、各所に院坊としての風格が残っています。
※院坊(いんぼう):お坊さんたちが修行する建物





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