さるおにでんせつ |
大西山に伝わる猿鬼伝説 語り手は、西山町にお住まいの坂本春男さん。 左の大西山猿鬼の絵を所蔵(しょぞう)されている方でもあります。 下に、ビデオの内容にあたる本文ものせてありますので、参考にしてください。 なお、方言がかなりまじっていますので、分からない言葉があったら、調べてみましょう。 |
昔、大西山の釜ん谷というところに、頭の毛はちぢれ、体は毛むくじゃら。そして、赤くはれた顔をした大きな猿鬼という怪物が住んでおったと。今も川の底に、とこんとこんと大小いろいろな穴が開いておるが、猿鬼の歩いた足跡やと人は言うとる。暑い夏にゃ、その穴で時々猿鬼ゃ行水(ぎょうずい)をしておったという。 ところで、この猿鬼ゃ、よさりゃ、田んぼや畑を荒らし、昼は、在所に出てきて、悪いことばっかりするもんで、大西山の神様やおこって、西山から追い出したげという。 それはある年の正月のこっちゃ。猿鬼は隠岩(かくれいわ)で酒を飲んで油断しているところを、西山の神様に見つかってしもうた。いくら元気な猿鬼も、神様には手も足もでんがや。びっくりした猿鬼ゃ、食べておった鯛(たい)の片身をほおかいて、そこにあった大きな岩を踏み割って、あわてて逃げたげと。そのときに岩が三つに割れたもんで、そこを三岩(みついわ)というとるげ。今もそのでっかい岩が三つ残っておるがや。正月にそこの三岩に行ったちゃ、残りの片身の鯛が泳いでおるといわれておる。 また、その猿鬼ゃ、逃げていくとき、「ほとほとと、行くや当目の岩屋堂へ、二度と帰らぬ釜ん谷」という歌を岩に刻んで、柳田の当目というところに行ったそうな。 そして、この話は、旧柳田村の猿鬼退治の話へと続いていくがやそうです。 |
猿鬼の隠岩 〜猿鬼のすみか〜 猿鬼は、大西山の奥の釜ん谷というところに住みついていました。 写真の穴はあまり大きくはありませんが、当時はもっと大きかったそうです。 |
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釜淵(かまぶち) 〜猿鬼の足あと〜 猿鬼が行水するには川の水が少ないので、こつこつと掘り下げて、このような大きな穴を開けたのだといわれています。 |
猿鬼伝説由来の地名 〜輪島市三井町〜 猿鬼は、西山を追われた後、旧柳田村の当目に館を構えましたが、そこから三井町の仁行の古屋谷というところに行き、そこにある大きな杉の木に登っては、下を歩く人々をおどしていたそうです。 この大杉のあったところが「大杉」、一の枝の下が「本江」、二の枝の下が「仁行」、中ほどが「中村」で、末の枝のところが「洲衛」なのです。 ちなみに、猿鬼が西山へ行く前、仁行の猿尾谷に住んでいたともいわれています。 |
猿鬼退治の絵馬 〜大幡神杉伊豆牟比盗_社所蔵〜 神杉姫が猿鬼を退治した様子を記念して、この絵馬が大幡神社に奉納(ほうのう)されたようです。 絵馬とはいっても、縦1メートルほどもある大きなもので、現在も大幡神社に入ると見ることができますが、許可が必要です。 |