かまくら・むろまち・あづちももやまじだい



鎌倉から来た武士 長谷部信連
(かまくらからきたぶし はせべのぶつら)


鎌倉から、遠くはなれた奥能登輪島にも、鎌倉幕府の力がおよんでいました。それは、この地に関東武士、御家人(ごけにん)たちが残した物からも明らかです。
どんな物があるかビデオで見てみよう。

   
  

西光寺(さいこうじ)

鎌倉幕府ができてすぐに、奥能登南志見(なじみ)で、幕府の発展(はってん)や将軍の健康をいのるためのお寺が建てられました。そこには、昔からたくさんの仏像があります。また、本尊(ほんぞん)は長谷部信連(はせべのぶつら)が背負っていたと伝えられています。建物にも工夫があるよ。
   

長谷川等伯と七尾(はせがわとうはくとななお)

「長谷川等伯ってだれ?」とよく聞きますが・・・・桃山時代に「五代雪舟」と名乗り、画家の最高の位についたひとです。その等伯は、七尾で生まれました。生まれてから京都に行くまでの生い立ちや有名な作品を動画で紹介してあります。






百姓ノ持チタル国 加賀一向一揆
(ひゃくしょうのもちたるくに かがいっこういっき)


戦国時代、各地では戦国大名がそれぞれの国を支配していました。
加賀では一向宗(いっこうしゅう)の僧や門徒(もんと)の百姓が守護(しゅご)大名の冨樫政親(とがしまさちか)をたおし、以後100年間近く国を支配していました。