ならへいあんじだい



能登国分寺(のとこくぶんじ)

国分寺は奈良時代に国ごとにつくられ,能登国分寺は843年に建てられた。江戸時代から跡地(あとち)が知られ,100%発掘された全国でも例のないくらい貴重な史跡です。
復元された門や塀垣(へいがき)を映像で見ることができます。


大陸との貿易の窓口 富来福浦港(とぎふくらこう)

奈良に都があったころ,能登の福浦港に大陸からの使者を乗せた船がやってきていました。当時,朝鮮半島北部から中国東北部にかけて渤海(ぼっかい)という国が栄えていました。能登と渤海とは,どのような交流を行っていたのでしょうか。



大伴家持もお参りした気多神社(けたじんじゃ)

能登の一の宮というところに気多神社というお宮があります。奈良時代,都や国の役人などもお参りしていました。その中の一人に歌人としてよく知られている大伴家持(おおとものやかもち)がいます。
家持が任命された国司とはどんな仕事をしたのでしょうか。






荘園の様子が分かる上荒屋遺跡(かみあらやいせき)

北陸では奈良・平安時代には東大寺や西大寺などの荘園が多く
ありました。上荒屋遺跡もそんな荘園の施設の一部と考えられて
います。荘園の管理事務所である庄家(しょうや)跡や、工房
(こうぼう)跡、船着き場跡などが見つかっています。
船着き場跡や舟が行き来したと思われる大溝からは土器に墨で
文字を書いた「墨書(ぼくしょ)土器」が1000点以上も出土しています。
また、舟に積んだ荷物に付けられていたと思われる付札木簡
(ふだつきもくかん)も出土しています。
*写真は上荒屋遺跡遠景


山中温泉(やまなかおんせん)のはじまり

今から約1300年前に高僧行基(ぎょうき)に発見されたのがその
始まりであると「山中温泉縁起(やまなかおんせんえんぎ)」には
書かれています。
その後、長谷部信連(はせべ のぶつら)、
蓮如上人(れんにょしょうにん)、
松尾芭蕉(まつお ばしょう)
らが訪れて栄え、今日に至っています。