長谷川等伯と七尾 はせがわとうはく と ななお




等伯、七尾に出生! 
               
天文8年(1539年)畠山氏の家来・奥村宗道の子として生まれ、のちに染物屋・長谷川家の養子となりました。
 幼い時の名前は、信春,又四郎,帯刀(たてわき)と呼ばれていました。絵に才能があり、水墨画(すいぼくが)を雪舟の弟子・等春から学びました。その後,等伯と名のり、仏画を描く画家として20才で有名になりました。映像は、等伯の生家の菩提寺(ぼだいじ)・本延寺(ほんえんじ)です



画家の最高位  
                 
等伯は,才能を生かし絵を学ぶために33才の時に京都へ行きました。障壁画(しょうへきが)や屏風画(びょうぶが)を手がけ,自ら「雪舟五代」と名のり,長谷川派の代表となりました。また,狩野派(かのうは)と技を競い合い,ついには桃山時代の画家の最高の位につきました。毎年,等伯の偉業をたたえ「等伯まつり」が七尾の小丸山公園で行われています。









等伯ゆかりの美術館
               
石川県立七尾美術館美術館では等伯の代表的な作品を見ることができます。









等伯(信春)の水墨画(すいぼくが)
               
☆達磨(だるま)図
*七尾市 龍門寺所蔵
するどくひかり輝く眼やたくましい体は,戦国時代の武士のようすを描いたと言われています。映像は複製したものです。








等伯(信春)の作品(木造彩色=もくぞうさいしょく))

☆日蓮聖人坐像(にちれんしょうにんざぞう)(木造彩色)
*七尾市 本延寺所蔵
等伯が自ら木造に色をつけて,寺におくり与えた作品です。信春の名前がしっかりと木造に書かれてあります。