縄文から弥生時代へ じょうもんからやよいじだいへ




大昔の人びとの住居 御経塚遺跡(おきょうづかいせき) 
               
ここは縄文時代後期から晩期の大規模な集落遺跡です。これは復元された縦穴(たてあな)住居です。今から3000年前の人々はこのような建物に住んでいたと考えられています。




大昔の人が使っていた道具  
                 
 遺跡からは、1万点近くのたくさんの土器や石器が出土しました。土器は、食べ物を煮炊きするための深鉢(ふかばち)や入れ物に使用した浅鉢(あさばち)などが見つかりました。石器は、狩りの時に矢の先につけた石鏃(せきぞく)や土掘りに使った打製石斧(だせいせきふ)、ヒスイ製の玉類、御物石器(ぎょぶつせっき)や石棒(せきぼう)をはじめとする祭祀(さいし)の道具など多彩なものが見つかりました。特に御物石器、石棒など祭祀遺物は一遺跡の出土量としては全国的にみても大変多く、縄文人の信仰心の厚さをうかがい知ることができます。







縄文人の着ていた服、食べていたもの、住んでいた家
               
縄文人は屋根を「葺かや」でふいた竪穴式住居に住んでいました。夏は涼しく冬は暖かかったようです。食べ物は火を使って煮炊きもしていました。平均寿命は何歳ぐらいだったでしょう?野々市町教育委員会文化振興課の田村さんに聞いてみましょう。









縄文時代から弥生時代へ
               
弥生時代にはいると縄文時代と大きく違ってきました。それは米作りが始まったことです。米作りに使った農具なども多数見つかっています。そのほか「玉作り(たまづくり」用の石がたくさん見つかっています。各地との交流も盛んになってきました。