鎌倉時代にできた
西光寺
さいこうじ



頼朝の祈願所(きがんじょ)西光寺(さいこうじ)
               
輪島市西院内(にしいんない)に日乗山西光寺(さいこうじ)があります。建仁(けんにん)元年(1201年8月)能登国大屋荘(おおやのしょう)の地頭、長谷部信連(はせべのぶつら)が建立(こんりゅう)したと伝えられています。
また、建保(けんぽう)2年(1214)には、鎌倉幕府の祈願所(きがんしょ)になり、頼朝の健康や幕府の繁栄(はんえい)を祈りました。




飛騨(ひだ)の匠(たくみ)の技  
                 
現在の西光寺(さいこうじ)の本堂は、柳田村の、大工万九郎による、遠近法建築です。手前の柱から奥にいくにしたがって、少しずつ柱が細くなっていきます。こうすることによって、奥行きがあるように見えるわけです。また、大工万九郎は、東本願寺の建築にも関わり、飛騨の匠(たくみ)と呼ばれていました。







二人の仏様(ほとけさま)
               
西光寺(さいこうじ)のご本尊(ほんぞん)は、秘仏(ひぶつ)で見ることはできませんが、長谷部信連(はせべのぶつら)が背負っていたものと伝えられています。
今回、紹介する二人の仏様は輪島市の文化財に指定されています。
特に、最初の木造観世音菩薩(ぼさつ)立像は、大変古いものであり、とてもきれいな色が塗られていたそうです。
また、もう一人の薬師瑠璃光如来(るりこうにょらい)座像もすばらしいものです。





元禄(げんろく)の絵
               
これは、お葬式の時に使った絵です。本来は6枚あるそうですが5枚しかありませんでした。表には、一人ずつ仏様?か、お地蔵様?の絵が描いてあります。お葬式の時に看板のように使われていたそうです。
 また、裏には元禄(げんろく 江戸時代の前期)の文字がありました。