自然を生かす街づくり    用水と生きる街




河原市用水 津幡町太田地

河原市用水は、金沢市の東部を流れる森下川の右岸、旧三谷村河原市(現不動寺町)で取水し、山麓に沿って北東に導水して津幡川に注いでいる延長10.2kmの用水である。江戸時代のころ、森下川より津幡川にかけての地域は、ちょっとした日照りでも水が不足するといった状態であった。そこで、当時河北、羽咋両郡において用水やため池工事に優れた才能を発揮していた河北郡浅田村の十村役、中橋久左衛門の力を借りて用水開削にのりだすことになった。しかし、いざ取り組もうとした時、水路の線引きに悩むことになった。また、河原市用水は、別名浅田用水と呼ばれており、これは、開削した久左衛門が浅田村の住人であったためそう呼ばれていたのではないかと言われている。用水工事には、30年の歳月を費やして完成したのだが、その後、改修工事が寛政4年(1792)に実施され、文化3年(1806)に完成した。



河北潟排水機場 内灘町宮坂地内他

河北潟周辺には11カ所の排水機場が設置されている。この内灘排水機場にはポンプが5機設置され、洪水に備えている。2tの水を1.2秒でくみ出すポンプが2台、4.9秒でくみ出すポンプが2台、5.4秒のものが1台である。

河北潟の干拓に伴い周辺が整備され以前のように洪水に悩まされることはほとんどなくなった。








河北潟防潮水門 内灘町大根布地内

干拓以前は、北陸最大の汽水湖だった河北潟。内灘砂丘の発達によって外海と遮断、取り残されてできた湖で、今も一市三町にまたがる石川県内最大の潟湖だ。 現在の河北潟の面積は八百ヘクタール弱。潟の水は、海水の侵入を防止する防潮水門によって淡水化されている。

防潮水門を設けたことで潟内は淡水化し、ボラやスズキは住めなくなった。閉鎖性水域となったため、流域からの生活排水で富栄養化が進み、アユやシラウオも姿を消した。  干拓工事中の63年、全水面の漁業権が国に買い上げられ、長い伝統と独特の技法を持ち、風物詩として四季を彩ってきた潟漁にも、終止符が打たれた。




長柄用水 高松町

宝達山の裾野、大海川の流域に広がる大地をうるおしているのが長柄用水である。昔から水飢饉が多いこの土地に取入口が設けられたのは享保2年、高度な技術を必要とした工事の末、完成の日の目を見、現在も周囲の水田をかんがいしている。









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