校長室だより(2) 平成27年7月21日(火) 校長 三嶋 達也
皆さま、こんにちは。夏休みに入りましたが、本校では夏季補習が始まりました。生徒も教職員も、チーム飯田でこの補習を充実したものにするため、一生懸命取り組みます。
さて、2回目の「校長室だより」ですが、7月17日発行の本校PTA会報誌「学校だより第187号」2ページに掲載した私の文章を、そのままここに載せたいと思います。私自身のことにも触れています。参考までにお読みいただければと思います。
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チーム飯田で一歩前進
竹田PTA会長さんをはじめ、PTA役員の皆様や会員の皆様には日頃から本校の教育活動やPTA活動にご理解・ご協力をいただきまして誠にありがとうございます。この紙面を借りてあらためてお礼申し上げます。
さて、平成二十七年度もすでに七月となりました。まさしく「光陰矢のごとし」だなと実感しています。しかし、私は四月に伝統ある飯田高校の第二十五代校長のたすきを引き継いだ緊張感を忘れてはいません。むしろ、ますますその職責の重さを痛感しているところでもあります。
ここで、私の歩んできた道を簡単に振り返ります。四月三十日発行の飯高タイムズ131号でも書きましたが、初任は輪島高校です。教科は英語。輪島では七年間勤めさせていただき、母校羽咋高校へ戻りました。輪島でも羽咋でも担任をしながら、常に生徒の進路実現のために全力投球をしてきたつもりです。
羽咋では十六年間籍を置かせてもらいましたが、この間、内地留学により、上越教育大学大学院へ単身赴任で二年間勉強する機会を得ました。偶然にも、井下前校長と一緒でした。私は英語教育、井下先生は学校教育を専門として同じ釜の飯を食った間柄です。内地留学後、私はまた羽咋に戻り、進路指導主事を三年間務めたのち、今度は七尾高校へ異動となりました。
七尾高校では、井下先生が進路指導主事、私が三年学年主任としてペアを組んで仕事をしました。とても充実した二年間でした。その後私は教頭として、富来高校と門前高校に勤務しました。校長を補佐しながら、少し違う道を歩みだしました。
平成二十五年度、二十六年度は田鶴浜高校の校長として、学校経営の仕事をすることになりました。田鶴浜高校は、地域の医療・福祉に貢献できる看護師と介護福祉士を生み出す専門高校であり、国家試験合格率は常に一〇〇%です。この学校での二年間は、石川県全域、特に能登地区での医療や福祉分野での人材不足を肌で感じる日々でした。能登で貢献できる人材育成を、という視点が大きくなったのはこの学校での勤務を経験したからに他なりません。
振り返りが少し長くなりましたが、私は、これまでの経歴がこの名門飯田高校での学校経営に必ず役立つと信じています。
四月に飯田高校の校長となり、教職員に伝えた言葉が「一歩前進」です。始業式にも、入学式の式辞の中でも「一歩前進」の大切さを伝えました。また、PTA総会の場でもこの言葉を皆様に伝えさせてもらいました。勉強でも部活でも、ボランティア活動でも生徒会活動でも、あらゆる場面で、常に一歩前に出ること、この大切さを繰り返し生徒たちに伝えていきたいと思います。また、その時には一人ではなく、常に飯田高校というチームで、みんなで一丸となって前に進んでいくことを大切にしたいと思っています。生徒も、教職員も、「チーム飯田」で団結して前に進みたいと考えています。
なお、教職員には、ワークライフバランスを大切にしながら、仕事をしてもらいたいと伝えています。いざという時、力を振り絞ってもらえるように、校長として、先生方の働く環境をさらにいいものにしたいと考え、学校経営を行っているつもりです。
これまでの教員生活で得たものを活かして、私はこの飯田高校で何をしなければならないかを常に考えていきます。どうか、皆様、今後とも本校の教育活動・PTA活動にご理解とご支援をよろしくお願いいたします。
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