松尾芭蕉と山中温泉 まつおばしょうとやまなかおんせん




芭蕉が滞在した「泉屋の跡」 
芭蕉は山中温泉に8泊9日、泉屋旅館に滞在しました。旅館の主である泉屋久米之助(いずみやくめのすけ)は、芭蕉から俳句の指導を受け、桃妖(とうよう)という名前をもらい、終生山中温泉の俳句の振興に勤めました。写真の陶板(とうばん)は、平成元年、奥の細道 記念事業としてつくられ、与謝蕪村(よさぶそん)筆「奥の細道画巻」の芭蕉・曽良の別れの場面が描かれています。苦楽をともにした二人が、あたかも二羽の鳥が、一羽一羽別れて雲間に迷うようだと涙を流しながら別れたのがこの場所です。
「行き行きて たおれ伏すとも萩の原」(曽良)
「今日よりや 書付(かきつけ)消さん笠の露」 (芭蕉)


芭蕉が好んだ道明が渕の句碑 

「山中や菊は手折らじ 湯のにほい」
(やまなかや きくはたおらし ゆのにほい)
江戸時代末期の文久年間に建てられた山中温泉で最も古い句碑です。芭蕉は黒谷橋と同様にこの地がよほど気に入ったらしく、元禄二年七月二十九日・三十日の二日間この地を訪れています。「文久とりのとしなかの秋」と碑の裏面に書いてあります。ここは「道明渕秋月」(どうみょうぶちしゅうげつ)として山中八景の一つで、この句の「きくはたおらし」から総湯菊の湯が名付けられました。


芭蕉ゆかりの芭蕉堂
               
黒谷橋のたもとにあり、俳聖松尾芭蕉を祀(まつ)る御堂(みどう)です。ここでは今でも句会やお茶会がひらかれるなど、とても風流なおもむきにつつまれています



絶景かな黒谷峡谷
               
鶴仙渓(かくせんけい)の最も下流で大きな淵をなし、風景のよいこの辺りを黒谷といい、重厚なアーチ型の黒谷橋が架かっています。 芭蕉もここが気に入り、「行脚(あんぎゃ)の楽しみここにあり」と、詠んだと言われています。一節うたいだしたといわれています。付近には俳聖(はいせい)松尾芭蕉を祀る芭蕉堂、東山神社などの名所があります。
 



芭蕉の館と山中温泉

明治中期の宿屋古建築が特徴で、お茶を飲みながら美しい庭園が楽しめます。また、松尾芭蕉の資料や山中漆器の作品等も展示されています。