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渤海(ぼっかい)との交流があった福浦港
奈良時代から平安時代にかけて,中国東北部に渤海という国がありました。渤海は,34回(北陸地方に21回、内能登3回,加賀地方4回)も日本に使節(しせつ)を送っています。渤海使は,日本で毛皮やハチミツ,仏典(ぶってん),工芸品などを,絹織物,黄金,漆(うるし),水銀などと交換していきました。渤海との交流によって,いろいろなものや情報が大陸から日本に伝えられました。
※ 回数については諸説があります。

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天然の良港福浦港
福浦港(福良津)は,天然の良港で、水澗(みずのま)と大澗(おおのま)と呼ばれる入り江からなっています。
陸地に入り込んだ入り江は風をさけるにはとてもいい場所でした。

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渤海の船の修理がおこなわれた福浦港
福浦港(福良津=ふくらつ)では,帰国のための出航準備が行われたり,渤海使が宿泊したりしました。
平安時代の初めごろ,船の修理に使う森林を伐採(ばっさい)してはならないという朝廷の命令が出されており,能登の国の造船地としての姿が浮かんできます。

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渤海使が宿泊した能登客院
平安時代の初めごろ,渤海使を宿泊させるために能登国に宿舎(客院,きゃくいん)をつくれという朝廷(ちょうてい)の命令が出されました。その宿舎が,福浦の地(現在の「フルドウ」,「トガドウ」など)につくられたという説があります。

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船の無事を祈る回船絵馬(かいせんえま)
福浦港は,北前船の能登外浦の寄港地の一つでした。北前船の航海にはたいへん危険が伴いました。金比羅(こんぴら)神社には,無事を祈る船主や船員の家族らの祈りを込めた回船絵馬が奉納(ほうのう)されています。

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