荘園の様子がわかる
上荒屋遺跡
しょうえんのようすがわかるかみあらやいせき




奈良・平安時代の荘園(しょうえん) 
               
聖武(しょうむ)天皇の時代に大仏や寺院の建設などで国のお金が不足してきたため、新しく田畑を切り開く必要がでてきました。そのため、新しい法律が作られ、土地の私有が認められました。やがてこの土地が荘園へと姿を変えました。
平安時代になると、貴族や神社、寺院などの荘園には税金がかからなかったため、ますます田畑を寄付するようになり、班田収授(はんでんしゅうじゅ)の法は完全にくずれさりました。




当時の荘園の様子を復元した上荒屋遺跡  
                 
北陸には奈良・平安時代には東大寺(とうだいじ)や西大寺(さいだいじ)などの荘園が多くありました。上荒屋遺跡もそんな荘園の施設の一部と考えられています。荘園の管理事務所である庄家(しょうや)跡や、工房(こうぼう)跡、船着き場跡などが見つかっています。










めずらしい出土品
               
船着き場跡や舟が行き来したと思われる大溝(おおみぞ)からは土器に墨(すみ)で文字を書いた「墨書土器(ぼくしょ)」が1000点以上も出土しています。また、舟に積んだ荷物に付けられていたと思われる付札木簡(ふださつもっかん)も出土しています。









初期の荘園の様子が分かる荘園の遺跡
               
千木ヤシキダ遺跡。1984年に発見され、古墳時代から飛鳥、平安時代にいたる遺跡と判明。集落跡として県内でも有数の規模を誇ります。 東大寺領(とうだいじりょう)横江荘荘家跡(よこえしょうしょうかあと)。奈良〜平安時代初めに全国的に広がった初期荘園と呼ばれるもののひとつです。1970年遺跡が発見され、1972年に国の史跡に指定されました。現在は史跡公園として整備され、建物跡などの位置が表示されています。
 




*掲載のビデオは金沢市埋蔵文化センター作成のものを許可を得て使用しています