加賀藩十村役
「喜多家」
からさぐる身分差別
かがはんとむらやく「きたけ」からさぐるみぶんさべつ




加賀藩だけの役割 「十村役」(とむらやく) 
               
「喜多家」は宝達志水町北川尻にあります。
加賀藩だけにつくられた「十村役」という百姓のかしらに選ばれました。その名の通り10ヶ村ほどをとりしきる仕事をしました。年貢(ねんぐ)のとりたてや藩のきまりの連絡・検地(けんち)による地図作成・用水の管理・争いごとの裁判(さいばん)などがおもな仕事です。
 すり鉢がたの土地に主屋・門・納屋(なや)が建てられているので外からは目立ちません。お殿様や武士が泊まることもあったので目立つことをさけてこのような造りになっています。




玄関にかくされた差別  
                 
喜多家の主屋には玄関が4つあります。
正面に向かって一番右が百姓の玄関、その左が表玄関、そのとなりが武士の玄関、そして一番左が、お殿様専用(せんよう)の玄関です。身分によって使う玄関が分けられただけでなく、下の身分の玄関ほど後ろへさげてつくられていました







格子戸(こうしど)と床のひみつ
               
 次は、喜多家の待合いの間と武士の仕事の間です。武士の部屋の床は一段高くなっていて、百姓は勝手に上がることはできません。喜多家の主(あるじ)も百姓身分なので自分の家でありながら自由に上がることはできませんでした。
武士の仕事の間の格子戸は台形の木でつくられているので、家の中の武士は外にいる下の身分の人物をよく見ることはできますが、外の者からは中の武士の姿は見えません。百姓・町人は基本的に武士の顔を見てはいけませんでした。




お殿様の部屋へのたたみ
               
喜多家には加賀のお殿様が2回おいでになりました。「大式台」という玄関から「謁見(えっけん)の間」というお殿様の部屋までのたたみは、お殿様がたたみのへりをふまなくてもよいように敷(し)いてあります。








平屋(ひらや)の秘密

さらに、この喜多家が平屋であることにも、ひとつの身分差別がかくされています。喜多家の現在の御当主に聞いてみました。

なぜ平屋かと言うと、この建物は個人のもので加賀藩の仕事場として提供していました。武士は常駐(じょうちゅう)ではなく通いで来ます。取り調べや調べ物などをするために毎日でなく不定期にここへ来ます。武士がひょっこり来た時に、農民の身分の者が二階にいたら武士の頭の上に立つことになり、それは許されないということで平屋につくられています。