Kanjincho

歌舞伎十八番の中でももっとも有名な物のひとつです。山伏姿になった義経主従が、奥州平泉に向かう途中、加賀の国の安宅関で、関守の富樫に見つかりそうになります。白紙の勧進帳を読み上げ、義経を打ってまでも疑いを晴らそうとした弁慶の機転により一行は難を逃れました。『義経記』では如意の渡しを舞台にした記述があり、後に幸若舞『富樫』、能の『安宅』などにもあらわされます。天保11年(1840)に5代目市川海老蔵によって初演されたということですが、今回音楽のつどいでは高等部C組のオールスターキャストでお送りします。 平家を壇ノ浦で倒した戦(いくさ)の天才源義経であったが、その才能を兄源頼朝に恨まれ、その命が狙われた。しかたなく義経は昔世話になった奥州、いまの岩手県にいる藤原氏を頼って北へ落ちのびていった。愛する静御前とも別れ、山伏姿で福井から石川へと苦しい道のりを進んでいった。
 そんな義経たち一行の前に最大の危機が待っていた。
 この地で一番厳しい関所 安宅の関、そこを守る富樫左衛門(さえもん)が頼朝の命令を受けて義経一行を待ちかまえていたのだ。
 はたして義経たちの運命は・・・・・


 

「そなたたちはなにものだ」
 「東大寺を建て直すために諸国を回っている者です」
「ならば勧進帳を持っているであろう。それをよんでみよ」
「おやすいご用」

白紙の歓進張を読み上げる弁慶

その姿に富樫も信用し一行を通そうとした。しかし、一人の男に気がついた。
「まてそこの男義経に似ておるな」見つかったと思い緊張する一同

その時「ええいお前が義経に似ておるから皆が迷惑するこうしてくれる」
そういって弁慶は義経をうちすえた。

見かねた富樫がそれをとめた。「疑いは晴れた。行くがよい」

「義経どの道中気をつけて」義経を逃したとわかれば自分もただではすまないのだが、弁慶の心にうたれた富樫はだまって義経一行を見送ったのだった。

伝説ではこのあと富樫が一行の跡を追って鳴和鹿島神社で酒盛りをして舞を踊った。ということです。