ほうだつごんげんさま

上田の浜(今の米出の浜)は、あまりにも本在所から遠いので、漁に出る人もなく、夏になると、水死事故が出たりするので、土地の人びとは、大変やっかいに思っていました。
そこで、上田の浜は米出村へ「かいもち」一重と交換されたといわれています。
ところで、浜には、つねに浜番がいて、見廻りをしていました。
ある夜のことです。浜番のじいさんが不思議な夢を見ました。
翌朝、いつものように海岸を歩いていると、波打ちぎわに、何かピカピカ光るものが見えました。走り寄って拾いあげてみると、それは仏様の形をしていました。
「こりゃ何と不思議なものが流れついたぞ。」と思って、しみじみ眺めていると、
「助けてくれ、早く助けてくれ。」
と、どこからか声がしました。昨夜の夢に見たのも、まさしくこれと同じでした。
「あんたいったいだれやいね。」
と、恐る恐るたずねると、その光る木像は、
「わしは、ずっと海のむこうにおったのじゃが、でっかい雨風におうて海へ流され、波にゆられているうちに、昨夜この浜へ流れ着いたのじゃ。たのむ、わしをあの高い山へつれて行ってくれんかの。」
と、言われました。
「そうやったかいね。そうやったかいね。そんなら、わしが背中におんぶして行くわいね。」と、なわで背中に負うと、じいさんは、山を目ざして歩き出しました。
上田を通り、一の谷の間を通り、もんご谷の上を通って山頂まで休ますに歩きました。
「神様、ここでいいかいね。」
「やあ、ご苦労じゃった。四方が見えてなかなかよいところじゃ、ここに置いてくれ。」
じいさんはそこに、にわか作りの小屋を建て、その神様をお入れしました。すると、
「わしの願いをもう一つだけ聞いてくれ、わしの体を海に向けないでもらいたい。」
と、たのまれました。
そこでじいさんは、神様を越中立山に向けて置きました。山をおりて、このことを村人に話すと、
「もったいない、もったいない。神様をそんなところに置いては罰が当るぞ。」
と、いって大勢の人が集まり山へ登りました。
そして、風が強いのでみんなで、まわりに高い土手を築いて、ていねいに神様をまつりました。その山が宝達山です。
その後、宝達山のふもと三十二か村の信仰の的となり、「神様」は権現さまと呼ばれ、特に、浜に住み、漁をする人達にとっては、まもり神となりました。


『押水のむかしばなし』(押水町教育委員会 昭和57年発行)より



宝達山の全景 
 
宝達山は、能登地方で一番高い美しい山です。
このお話は、その宝達山にまつわる民話です。