おしのいずみ

宝達山の山すそに、広い野原がひらけていますが、この山すそに紺屋町という在所があります。
ここに、一人心やさしいおばあさんが住んでいました。
ある日のこと、見るからに汚れた衣を身にまとった旅の坊さんが、つえをつきながら、ひょっこり、このおばあさんの家へやって来ました。「ばあさんや、のどがかわいてしかたがない。たのむから水を一ぱいよんで下され。」
と、たのみました。
「ようこそ、ようこそおいで下さった。まあここで休んで下され。ところで、ごぼさま、このへんはきれいな水のないところでねえ…、弱ったことじゃ。」
それを聞いた坊さんは、
「それは困ったことじゃなあ。」
と途方に暮れた風でした。
「そんならごぼさま、ちょっと待っとってくさんち、向こうの在所まで行ってもろうてくるさけ。」
待てどくらせど、おばあさんは帰ってきません。坊さんは、自分ののどのかわきも忘れて心配していました。
かなりの時間が過ぎ、やがて日も沈もうとするころ、汗だくになって手おけを持ち、小走りにやってくるおばあさんの姿が見えました。
坊さんは、合しょうしながらおばあさんを玄関先に迎えました。そして、この水をうまそうに飲み、心からお礼を言いました。
おばあさんの親切と、信心の深さに心を打たれた坊さんは、なんとかして近くにきれいな水の出るところを与えてやろうと、自分のつえで地面のあちこちを突かれました。
すると、あらふしぎや、つえを突かれたところから、きれいな水が吹き出したではありませんか。
おばあさんのおどろきと喜びは、大変なものでした。
「よかったのお、ばあさん。これもお前の信心のたまものやぞ。」
といって、旅の坊さんは、いずこともなく去って行かれました。
しばらくして、われにかえったおばあさんは、その頃諸国を巡教(じゅんきょう)して歩かれた弘法大師さまではなかろうかと気づきました。
今は、この泉を「弘法の池」といい、弘法さまがつえで押されて水が出たことから「押の泉」ともいわれ、押水の地名の由来ともいわれています。


『押水のむかしばなし』(押水町教育委員会 昭和57年発行)より



押水の紺屋町に残る押の泉 
 
押水の紺屋町には「押の泉」という、わき水が今でも残っています。
このお話は押水の名前の由来となったこのわき水についての民話です。