徳田 秋声

明治4年(1872)〜昭和18年(1943)
泉鏡花とともに尾崎紅葉の門下。
自然主義文学の代表的作家「爛」「足跡」「あらくれ」「黴」

徳田秋声と医王山

秋声の作品には医王山を題材としたものは見つからなかったのですが、その思いはさまざまな記事やアンケートへの返答から見いだせます。

「私は山を背負ふた海辺に近いところに住みたいと思ひます。東京では山の姿が見えないので何より物足りない気持ちがします。」「私は春先き雪解け時分の自然が大変好きですが、それも北国でなければ駄目です。雪が解けはじめて、久しぶりでどす黒な土が見え蒼褐色の山の姿に接するほど愉快なことはありません。」

そしてその山とは決して見知らぬ土地の山々ではないでしょう。

「私の好む土地:何といっても故郷の自然です。其れ以外の山水には心持や生活の織り込みがないからいくら美しいと云っても意味はありません。」

 秋声の交友や金沢への思い 徳田秋声「田舎の春−金沢の風土−」 
東京 本郷 秋声の旧宅
母校馬場小学校の文学碑
浅野川沿いにある徳田秋声記念館 卯辰山の秋声碑より
秋声バス