えどじだい



農民とともに生きた天領の大庄屋「中谷家」
(てんりょうのおおしょうや「なかたにけ」)


江戸時代に、能登は天領(幕府が直接おさめる土地)が62カ所ありました。黒川(現在の能登町字黒川)もそのひとつの村です。
その黒川村で司法権(裁判をおこなうこと)、行政権(政治を行うこと)を持つ天領大庄屋だったのが「中谷家」です。
古い祖先は不明ですが、寛文(かんぶん)年間(1661年)以降の資料は残っており、現在残っている屋敷などを通して、当時の庄屋や農民の生活の様子を知ることができます。




加賀藩十村役「喜多家」からさぐる身分差別
(かがはんとむらやく「きたけ」からさぐるみぶんさべつ)


宝達志水町にある喜多家には、加賀藩の前田のお殿様が2回おとまりになったそうです。1つの家に、ふつうの家の部分と藩の役所の部分があるので、身分差別のきびしかった時代のおどろくようなつくりがたくさんあるそうです。



宝達山は金の山 (ほうだつさんはきんのやま)

能登地方の入り口に宝達山はあります。むかし、そこを流れる宝達川の上流で砂金がとれました。それをみた山師(やまし)といわれる金ほりの親方は、「きっとこの山には金みゃくがあるにちがいない」とたくさんの職人をあつめてきました。さあ金はどのように作られるのかな?





加賀百万石(かがひゃくまんごく)

前田利家を第1代目とし、江戸時代の終わりまで続いた加賀藩についての簡単な説明がでてきます。
また百万石文化といわれる独特の文化やその名残もでてきます。江戸時代の加賀藩の様子を知る手がかりにしてください。



海の豪商(ごうしょう)銭屋五兵衛(ぜにやごへい)


銭屋五兵衛が生まれ活躍した時代は、江戸時代という日本の歴史の中では比較的落ち着いた戦のない平和な時代でした。
また、経済が発達し商人が大きな力を持つようになった時代でもあります。その中でも銭屋五兵衛は一代で巨万の富を築いた出世頭(しゅっせがしら)の商人だったのです。


松尾芭蕉(まつおばしょう)と山中温泉(やまなかおんせん)

「山中や 菊は手折らじ 湯のにほい」
医王寺本堂正面右側に立っている松尾芭蕉の句碑です。
山中温泉に芭蕉は、8泊9日もの間滞在し、いくつもの句を詠(よ)みました。それらは、後に「奥の細道」に紹介されています。山中温泉で、芭蕉は、長い間旅を共にした曽良(そら)と別れることとなりました。