伝統工芸
  でんとうこうげい






わじまぬり
輪島塗

 最も古い輪島塗として、室町時代に作られたおわんや、神社のとびらが残っています。
 江戸時代のはじめころに「地の粉」(じのこ)が発見され、漆とまぜて塗ることにより、じょうぶな漆器が作られるようになりました。さらに、沈金(ちんきん)や蒔絵(まきえ)の技術も工夫されるようになりました。







ふたまたわし
二俣和紙

 すぐれた品質の箔(はく)を作るのに大切な物の一つが箔打ち紙です。金箔の澄作りの後半の工程から箔打ちまで、和紙がなくては作れません。箔打ち紙として金沢の二俣町の二俣和紙が最も多く使われています。
 二俣和紙は前田利家が金沢城に入った後の1592年、加賀藩御用紙の指定産地になってから大きく発展し、一番多いときで300戸の紙すき場がありました。






かがゆうぜん
加賀友禅

 1718年に京都から金沢に移り住んだ宮崎友禅斎(みやざきゆうぜんさい)は、新しいデザインの模様染めを次々と発表し、加賀染めを改良した加賀友禅をつくりだしました。
 それから現代まで伝わり、今でも浅野川などで見られる金沢の風物詩の一つになっています。







きんぱく
金 箔

 金箔や銀箔が金沢で初めて作られたのは、文献(ぶんけん)の上では1593年、前田利家が豊臣秀吉の朝鮮の役の陣中より国もとへ金箔、銀箔の製造を命じる書を寄せていることに始まります。
 以来、加賀藩の産業振興策として製造が行われ、1864年に加賀藩の御用箔としての製造が許されると、質・量ともに大きく発展しました。





くたにやき
九谷焼

 九谷焼がうまれたのは、山中町九谷村というところです。1660年前後に当時の大聖寺藩主の前田利治の命令で、肥前有田(ひぜんありた)で陶業(とうぎょう)を学んだ後藤才次郎が始めました。
 江戸から明治にかけて、寺井町の九谷庄三が繊細(せんさい)で華麗(かれい)な彩色金襴主(さいしききんらんしゅ)を広め、大きく発展してきました。





みかわぶつだん
美川仏壇

 今からおよそ500年ほど前の室町時代に、戦乱をさけて京都から加賀の国へ多くの人々が流れてきました。その中に仏壇をつくる職人さんも多くいたといわれています。
 当時、美川町は加賀の国でも有数の港町として栄え、船を使った材木の取引が盛んであったこともあり、仏壇づくりが始まったと伝えられています。




やまなかしっき
山中漆器

 山中漆器は安土桃山時代に、山の木を切る許可を持っていた福井県の木地師たちが山を越えて石川県に入り、山中町に住み着いたことからが始まりとされています。
 木製の山中漆器は「伝統漆器」ともよばれ、約450年の歴史を持つといわれています。